国民への攻撃はね返すとき
   
                  国公法弾圧の体験者 
                           塀本 信之さん(67)
 「言論・表現の自由を守る12・8国民集会」が8日午後6時半から東京・日比谷公会堂で開かれます。

 休日に、自宅近くなど職務とまったく関係のない所でビラを配った社会保険庁の職員が、国家公務員法と人事院規則に違反するとして逮捕・起訴された国公法弾圧堀越事件と同世田谷事件。同法を使った逮捕は二十年ぶり、起訴は実に三十二年ぶりという異常さです。

 国家権力のどす黒い意図

 「逮捕のニュースを聞いた時、"国家権力が再び国公法を使いだした"と怒りがわいてきました」と語るのは、日本共産党徳島市議の塀本信之さん(67)。一九七四年十一月、公務員の政治活動を一律に禁じることを合憲とした最高裁の不当判決を受けました。「しかし、判決以降、法学界や世論の力で、国はこの法律を適用できなくなりました。それを、また使い始めた。国家権力のどす黒い意図を感じます」
 塀本さんが罪に問われたのは一九六五年、徳島郵便局員だった二十七歳の時。勤務時間外に、職場から遠く離れた山村で開いた日本共産党の個人演説会で司会をしたことが犯罪とされました。
 公務員の政治活動を禁じた同法の規定は、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)の圧力で導入されたもので、"占領の遺物"といわれました。
 一、二審は"憲法が保障する表現の自由(二一条)、法定手続きの保障(三一条)に違反する"として無罪。それを覆した最高裁判決は、法学界や国民世論から「憲法擁護の任務を最高裁が放棄した」「司法の反動化の正体を浮き彫りにしたもの」といわれました。
 判決直後、「お城のような最高裁の建物に民主主義が確立するまで、頑張ります」と訴えた塀本さん。その後、市議会議員となり、えん罪事件の再審支援や民主県政の実現など保守・無党派層とも共同する広範な市民運動の先頭に立ってきました。

 
世論バックにがんばれば・・・

 「あのころはベトナム戦争の時期で、日本を基地にしてアメリカの攻撃機が出撃していきました。今はアメリカが引き起こしたイラク戦争に加担し、海外派兵を自衛隊の本来任務とする防衛省法案も衆院を通過しました。時代背景は酷似しています」と塀本さん。
 「今、相次ぐ増税や労働条件の改悪など、国民の命と暮らしにさまざまな攻撃がかけられています。まさにその時、露払いのように公務員攻撃がやられ、たたかう労働者を弾圧で抑え込もうとしています。今も昔も、これらの攻撃のネライが国民を分断し、広範な反撃をつぶすことにあることは明らかです。それだけに、国民世論をバックに頑張れば、事態を動かすことができます」と、「12・8国民集会」への期待を語ります。(2006年12月8日しんぶん赤旗14面)